気分がいい

2007年12月3日 日常
結構気分が乗らないレポートを
やっとのことで書き終え、
部屋でぼんやりと
天井を見ながら横になって
書こうと思っていた企画書を
頭の中で組み立てていたら、
突然あざらしの映像が浮かんで、
新しい企画を思いついた。

頭の中の企画書はもう
8割がた仕上がっていたんだけど、
いま思いついたばかりの企画が
どうしても書きたくなった。
どこに転がっていくかわからないけれど
とりあえず書こう!
時間がないので(締め切りは明日だ!)
直接パソコンに向かう。

頭の一行が思い浮かぶ。
「ひとことで言えば」。
楽しい。
こんな感覚は久しぶりだ。
ぼくはピアノを弾けないけれど、
好きな曲を思い通りに弾きこなせた時って
たぶんこんな感じなんじゃないかと思う。
あらゆる感情がわき上がる。波打つ。
ああ、セックスより気持ちいい。

30分で書き上げる。
読み返す。
面白いと思う。
明日読むとまた違う感想を持つかも知れないけれど、
きょうはとりあえず気分がいい。

そうだ。
書くことって、気持ちいいことだったんだ。
忘れてた。
でも久しぶりに思い出した。
忘れないようにここに書いておこうと思う。
わかる人にはわかるタイトルですが、すごいことになってますね、「史上最弱ライダー」こと佐藤健くん!最近知ったんですが彼のブログ、http://yaplog.jp/takeru-s/ コメント欄ってフツー1000件しかコメント書けないんですが、彼のブログは毎日1000件コメントがついてる!しかもコメント専門のブログを別に立ち上げたら、そこすらもうコメントが溢れてるという!ここまでのブログは初めてじゃないかなぁ。タイトルがまたいい!
「弱くてごめんね」。もう、わかってらっしゃる!って感じですよ。

仮面ライダーを卒業する来年になったら、ヨン様に夢中だったオバサマ層もたぶんハマリまくりじゃないかなぁ…。ああ、絶対売れるってわかってる人がいるのに、ジャンルが違うからいかんともしがたいうずうず感。う〜ん。

もう一組絶対売れる!ってグループを紹介しましょう。
「まえだまえだ」。
今はまだ無名ですが、とんでもないことになりますよ、近い将来。日本中が彼らの名前を知ることでしょう。なんかねえ、「スゴイ人」って、その存在を他人に伝えずにはいられなくなるんですよね。かつての小島よしおがそうだったように。「まえだまえだ」、覚えておいてくださいね!

佐藤健 2008年カレンダー
ISBN:B000VRSPKO カレンダー ハゴロモ 2007/10/08 ¥2,415
途中まで単独行動だったのでやりたい放題でした。
ひとりお好み焼き、ひとり串カツ、ひとりデパ地下などなど。
紀伊国屋書店梅田店、相変わらずいいですね〜。
初めて行ったのはもう30年くらい前だけど、全然変わらない感じがして。
だからと言って古くなってる感じもなくて。落ち着くんですよね。
ひとつ思ったのは、お好み焼き自体はそんなに美味しいもんじゃないね。
子供の頃からずっと親しみ続けてきた、「舌」の記憶が、おいしく感じさせるんだね。
どうりで東京でぼくが「今度ウチでお好み焼きパーティしようよ!」
って言ってもみんなあんまりノッて来ないはずだなあ。
同じホームパーティなら「お好み焼き」より「焼肉」とか「すき焼き」とかなんだろうなぁ。
ちょっと反省。

他にもいろいろ書きたいことがあったはずなんだけど、飲んじゃってるからか思い出せません。
思い出したらまた書きますね。

終わった…

2007年11月27日 日常
いま送信し終えました。今回こそダメかと思ったけど何とかなるもんだな…。しかしギリギリまでやる気にならない体質はどうにかしないと。もう若くないんだから。
きょうはこれからシャワーを浴びて会社に行って、午後から大阪に出張です。新幹線、新大阪行きのにしないと、爆睡してどこまで行っちゃうかわからないな…。
本はコレを持っていきます。どこまで続く、銀杏BOYZブーム。どうも一旦気になるととことん情報収集しないと気がすまない性質なんで。熱しやすく冷めやすい、というか。
あ、恋愛ではそんなことないですからねっ!って誰に言うでもなく。
では、行って来ます。お好み焼き食べたいな…。

恋と退屈
ISBN:4309017827 単行本 峯田 和伸 河出書房新社 2006/09/27 ¥1,890

逃げちゃダメだ!

2007年11月27日 日常
って、わかっているのにいまだに逃避中。本当に仕上がるんだろうか。「いっぱいいっぱいなんで、明日まで待ってください!」って言って待ってもらってるのに。ごめんなさい。ホントは全然いっぱいいっぱいなんかじゃないです。土曜の夜なんか飲みに行って、その後すごく幸せな気分になってそのまま12時間くらい寝ました。きのうもやろうやろうと思いながらしっかり8時間睡眠。いまも下書きしながら眠くてたまりません。
でもなんでこんなに乗らないんだろう、今回のレポート。ほかの仕事は全然余裕で終わったんだけど、これだけがどうにもこうにも進まない。たぶん心のどこかで、「本当の締め切りは明日の朝10時だ!」っていうことをわかっていて、逆算すれば朝5時くらいから本気出せば間に合うや!って思ってるんだよオマエってやつは!ああ、なんでこんなにダメ人間なんだろう。でも治らないんですゴメンなさい!追い詰められないと本気になれないカラダなんですううう!

…自分を追い詰めるのも飽きたのでちょっときょうの思いつきをひとつ。

本屋にそろそろ来年の1月号が出始めたけど、相変わらず「キャンキャン」は元気ですね。なんていうか、雑誌自体からオーラが出てるっていうか、自信にあふれてる。一方で「JJ」はまた路線変更したみたいで、表紙からしてぱっとしない。何でこんなに差がついちゃったんだろう。そもそも「キャンキャン」なんて「JJ」のパクリ雑誌だったのに。

「エビちゃん」とか「もえちゃん」とかの存在もさることながら、重要なのは「モテ」っていう、要するに「不特定多数にちやほやされたい」という女の子の欲望をやわらか〜く表現するワードを発見したことがすべてだったんでしょうね。あせったJJは差別化の意味で、”「モテ」より「愛され」”というコンセプトで、要するに「誰からも広く浅く可愛がられるより、ひとりの人に深く愛されるほうがいいですよ」ってことを提案して「コンサバ回帰」を狙ったんだけど、無惨に失敗。読者である若い女性は、ひとりに「愛され」ることよりみんなに「モテ」ることの方に価値を感じていた。当然だよね。株だって外国株とかにリスク分散する時代、ひとりだけにベットする、なんてそもそもありえない。リスク分散のためにも「みんなにモテる」必要があり、「みんなにモテる」ための近道は「みんなにモテてる女の子(=キャンキャンの読者モデル)と同じものを買う」のがてっとり早い!という流れ。うまく回っている。売る側も、買う側も、みんなが幸せ。上品か下品かはともかく。外野でとやかく言うことじゃない。わかってるけど、ぼくは「女の子」じゃなくてよかったなぁ、って、こういう雑誌をぱらぱらめくりながら思ってしまいます。

まあ、男も本当はそういう価値観に身を置かないと「モテ」ないかも知れないんだけどね…。でももういいや、モテなくて。最近ちょっと仕事関係で「無駄モテ」気味なんだけど、気を使うだけで楽しくも何ともないし。かと言ってまったくないと淋しいんだろうなぁ…。大体ホントに「モテ」界から引退したいなら新しい服なんか一着も買わなくていいはずだしね。なのにこの冬コートからセーターからあれこれ買っちゃってる自分は結局まだ「モテ」界に身を置いてじたばたしたいんだろうな。

…いい感じで訳がわからなくなってきたので仕事します。でも体が冷えてきたのでその前にお風呂はいろう。30分で出て締め切りまで6時間。間に合うのか…。

CanCam (キャンキャン) 2008年 01月号
[雑誌]ISBN:B000YD2JJ8 雑誌 小学館 2007/11/22 ¥620
もう随分前のことだが、ぼくはプロ野球で言う「FA選手」のように、とあるセクションに引き抜かれ、自信満々にその部署に異動した。「自分がこのセクションを立て直すんだ」と思っていた。しかし、それまでいたセクションとそのセクションは、同じ会社とは思えないくらい「文化」が違うことに、ぼくは気がついていなかった。ぼくが立てた企画は、失敗を重ねる。ぼくを引き抜いた上司は窮地に立つ。最終的にその人は別のプロジェクトの金銭的失敗が原因で異動してしまうのだが、ぼくは責任を感じずにはいられなかった。
正直、ナメていた。そこを踏み台に、早く次に行こうと思っていた。でも、ぼくは1年近くたっても、そのプロジェクトでヒットを出せずにいた。「半年後にはもう一歩階段を上ってもらう」という、引き抜かれたときの約束は反故にされたが、当然だと思っていた。ぼくは結果を出せていないし、ぼくを引き抜いた人ももういなくなっていたから。会社の帰りに、毎日のように深夜のデニーズでひとりで企画を考えていた。自分が考えた企画を、それまでヒットした企画をメモしたものと照らし合わせ、なにが足りないのか、どこが問題なのか、自問自答を続けた。
ある時、頭の片側が痛むので会社の診療室に行った。医師は、笑みを浮かべて「ストレスからくる偏頭痛ですね」と言った。「あなた、いまの仕事を好きじゃないでしょう」医師の笑みはとても底意地の悪いものに思え、ぼくは「いえ、そんなことはないです」と笑みを返した。実際にはぼくはそのセクションでの仕事が好きではなかったが、認めたくはなかった。自分が変えてやる!と乗り込んだセクションで結果を出せないで、浮いてしまっている上にストレスで精神まで病み始めているなんて認めたくなかった。
そうか、狂ってしまおう、と思った。狂ってしまえば、まわりからどう思われようが自分の世界しか見えない人間になれれば、きっともっと違ったものが出来るだろう、と思った。それからしばらくは、すごくうまくいった。打つ手打つ手が当たっていった。斬新な切り口だ!と絶賛され、今でも他社に使われている方法論も編み出した。会社から表彰され、スタッフ全員を海外旅行に連れて行ったりもした。でも空っぽだった。それは、誰かに向けて発したものではなかったからだと思う。でも、そのやり方で成功してしまった以上、引き返せなかった。狂気の中にい続けるために、いろんな女性と関係を持った。浴びるように飲んだ。
でも、「極端なもの」はいずれ飽きられる。ぼくの手法も飽きられ始めた。ぼくは、新しいプロジェクトに移ることになった。引き抜かれたかたちだが、実際には「お払い箱」だった。でもぼくは狂気の中から抜け出せなかった。これで成功してきた以上、このやり方で通すしかないと思った。しかし、空回りが続き、仕事にもすべてにもやる気を失い、生活はさらに荒れた。このまま死んでもいい、と思うようになった。やがて「彼女」と出会った。

銀杏BOYZを聴いていたら、狂気の中にいた頃の自分を思い出した。と同時に、もうあそこには二度と戻らないだろうと確信した。峯田さんがいまどんな状況にあるのかぼくは知らない。でも、「光」という曲は、かつて確かに狂気の中にいて、そこを抜け出すことが出来た人にしか書けない曲だと思った。何の確信もないけれど。そしてそれは決して他人に誇れるようなことではないのだけれど。ただ、よかったね、と思う。峯田さん、狂わずに、死なずに、ここにいられてよかったね。歌い続けられて、本当によかったね、と。

僕たちは世界を変えることができない *初回盤
DVD UK.PROJECT 2007/04/11 ¥3,990

逃避中

2007年11月24日 日常
有閑倶楽部出演中の美波さんが今朝の新聞のインタビューで「三つ以上の事柄だけで頭がいっぱいいっぱいに。四つになったら一つ減らします(笑)」って答えてるけど、ホントその通り!って感じで、ぼくも何だかいっぱいいぱいなのでやるべきことを書き出してみたら9つありました。6つ減らさなきゃ!
でも現実的には全部来週までには片付けなきゃならない仕事なので減らすわけにもいかず、逃避中です。

きのうは昼間伝票を整理しに会社に行ったもののやる気にならず会社のそばの本屋に行き、「ミシュランあります!」のPOPを横目に本谷有希子さんの新刊インタビュー本「いままん〜いまマンガ家さんに会いに行きます」(←いいタイトルだ!)を購入。読みふけりました。しりあがり寿さんとの対談がすごくよかった。
寒くなってきたので家に帰って仕事をするつもりで「ポチたま」という番組をBGMがわりにつけてたら、その中の「さようなら、ふたごのパンダ」というコーナーが泣けて泣けて。もう号泣ものでした。そうか、いなくなっちゃったんだね、和歌山のふたごパンダ…。ってか日本で生まれた(よね?)のに中国に「返せ」って言われたら返さなきゃいけなんだ、っていうのが納得できず、「おかえりなさい」と能天気に旗を振る中国人民が憎くて憎くて…。国と国とのいさかいはこうしたちょっとしたことから起こるんだろうなあ、とちょっとしんみり。
そのあとはだらだらPCの前に向かうも「四川省」にハマって一行も書けず。よく会社でも「四川省」をやっていて、で頭の中では企画書に書こうとする内容を並び替えていて、突然全部つながって一気に書き出すのでびっくりされることがあるのですが、きのうはホントに頭からっぽにして「四川省」を楽しみました。ダメじゃん!と思いながら就寝。
そしてきょうはお昼に起きて、さあやるぞ!とBGM用に音楽チャンネルつけたら銀杏BOYZの「光」って曲がよくてよくて感涙にむせんでしまい、歌詞を調べたり峯田さんのブログ読んだりYOUTUBEで聴きなおしたり(10分以上ある曲なんです…)しているうちに現在に至ります。
…ダメ人間じゃん!ホントに大丈夫?月曜日までにホントに出来るの?ねえ、ねえったら!と頭の中の美人秘書が。こんなんじゃ仕事も仕事以外のことも何も進捗しないうちに来年になっちゃうよ!あああ。

光 銀杏BOYZ 峯田和伸 CD 2007/11/21 ¥1,050
年末年始関連の仕事をしているからか、もうことしも終わりそうな気分です。でも良い子のみんなはこれからクリスマスとかのイベントでもうひとヤマあるんだね!みんな頑張って!ぼくは仕事だから関係ないけど(泣)!
本屋で立ち読みをしていたら何かのサブカル本でフランス人の女性が「日本の男はセクシーに見られることより仕事でデキル男に見られることを望んでいる!だからセックスの回数が少ないのよ(笑)」と語っていた。

ほっといてくれ!大体セックスセックスって、そんなにセックスが大事か!大事だったらあやまるよ!ゴメン(男らしいね!)。
…とまあこんなふうに思考があちこちに分散していまひとつ企画がまとまらないので、気分転換にこの本を読んでいます。よく言われることだけど科学ってロマンチックだね!ってことを改めて感じる本です。
「平均への回帰」って概念があって。すごく背が高い親の子供は親より背が低く、すごく背が低い親の子供は親より背が高く生まれる、ってことが統計学で実証されてるんだって。「進化」っていう概念でいけば、背が高い親の子はより背が高くなって、人類は際限なく背が高くなっていってもいいはずなのに。でもそうはならなくて、人の身長には両極の値を「すべての人から求めた身長の平均値」に近づける神秘的な力が働いているらしい。しかもこの「平均への回帰」という現象は、人の身長だけでなく、ほとんどすべての科学的観測にあてはまるという。
まだ途中ですが、何だか読んでてわくわくしてきます。うん、ぼくも人をわくわくさせるものを作らなくちゃ。風呂上りでうだうだしてたら冷えてきたので寝ます。おやすみなさい。

統計学を拓いた異才たち―経験則から科学へ進展した一世紀ISBN:4532351944 単行本 日本経済新聞社 2006/03 ¥2,310

あったまる〜

2007年11月21日 日常
あったまる〜
ほんとおいしいよ、日清スパイスキッチントムヤムクンフォー。
http://www.nissinfoods.co.jp/product/p_1156.html?new=1グリーンカレーもあるけど個人的にはこっちの方がツボです。なんって言うかすごくタイっぽい!麺もつるしこだし!カロリー低いし!食後にコーヒー飲んでロッテのラミーチョコ一口かじったりしたらもう至福の時です…。ことしはラニーニャの影響とかで厳冬になりそうらしいから買いだめしとかなきゃ。

きょうは行きたいライブがあったんですが、終業間際になって突然アイデアの種がぽこぽこ沸いて出てきたので、新芽が出るくらいまで育ててみよう、と思って頭の中を耕してるうちに時間が過ぎてしまってました。でもまあ、そこそこ育ったからよかったかな。とりあえず、キレイな花が咲くのか、それとも雑草になってしまうのか、もう少し様子を見たいと思います。
しかしなんだかすっかり仕事人間です。わずか3,4年前まではホント仕事なんかどうでもよくって、飲み歩いて遊び歩いてたのに、変われば変わるもんですね。まあでも、特に「遊びたい」とも思わないし、ミシュランの三ツ星料理店とか行ってるヒマがあったら日清のフォー食べながら仕事してたいんだからいいか。幸せだ(自分に言い聞かせるように)。あ、そう言えば星ひとつのお店の中にいくつか行ってみたいところはありました。銀座の定食屋さんとか。まあしばらくは混むだろうからあきらめて、来週から大阪とか京都とかに行く機会が結構あるので「ミシュランに絶対載らない」系の店を満喫してこようと思います。

リアリティ

2007年11月19日 日常
もう全部捨ててハワイに行ってしまおう、と考えていたのは今から20年以上前の今頃だった。当時付き合っていた女の子に別れを告げられ、ふと我に返ると色恋沙汰にかまけているうちに1年くらいなにひとつ生産的なことをしていないことに気がついた。大学生活もあと1年ちょっとなのに、将来何がやりたいのかさえ全然わからない。よし、ハワイに行こう!と唐突に思った。留学して、ハワイに行って、サーフィンとかして過ごせばちょっとはポジティブな性格になるさ!やりたいこともきっと見つかるさ!善は急げ!と当時メジャーだった毎日新聞関連の留学センターに「どのくらい費用はかかるんでしょうか」と電話をすると、「滞在費含め最低でも年間400万円はかかりますね」との返事。考えてみれば彼女とのデートでバイト代を使い果たして貯金ゼロ。くだらなさすぎて笑えてきた。ああ、自分はまさにゼロだ、と思った。どこにも行けないし、何にもなれない。自分はきっとこのまま一生どこにも行けないだろうけど、もし万が一いつかどこかへ行けるようになっても、このゼロの自分を覚えていよう、と思った。これが自分なんだってことを忘れないようにしよう、と。

きょう木枯らしの音を聞きながら、20数年前の11月もこんなふうに寒くてひとりだったなあ、って、久しぶりにそんなことを思い出しました。あれから20年以上経って、少しは遠くへ行けるようになったけど、ぼくにとっていまだにあの頃の自分の方が、いまの自分よりもより強くリアリティを感じます。ポジティブなんだかネガティブなんだかよくわからないけど。しかしハワイはともかくちょっと休み取ってリフレッシュしたいなぁ。仕事ばっかりでストレスたまってきたかも…。

寒いね

2007年11月16日 日常
朝テレビをつけたら川島なお美が結婚会見とかで
「彼にとっていい“うつわ”になりたい」って話してた。
わかってるなぁ、この人。与えられた自分の役割が。
でも、テレビサイズじゃ過剰すぎる、っていうか
下品に見えちゃうんだよね…。
たぶん会うとすごく面白い人だったりするんだろうけど。
なんだかテレビの中すらどんどん住みにくくなってゆくなぁ、
と思うきょうこの頃です。

たまたま本屋でみつけたこの本はやたら面白いです。世界中の伝説や言い伝えを集めた本なんだけど、巻頭におさめられている「さまよえるユダヤ人」の伝説からもう引き込まれっぱなし。

イエスが磔にされるとき。十字架を背に歩き疲れ、ある家の前で休息をとろうとしたら、家の主人であるユダヤ人がイエスに厳しい言葉を投げかけた。それに対しイエスは
「おまえは私が帰ってくるまで待っているのだ」と返したという。で、以来そのユダヤ人は死ぬことも出来ず、世界中をさまよいながらイエス復活の日を待ち続けている。

そんな「さまよえるユダヤ人」の目撃情報が西暦1300年頃から世界中に残されていて、そのひとつひとつがこの本の中に詳しく記されているんだけど、ありえないと思いながらも読んでてすごくわくわくします!

先日見た映画「パンズラビリンス」(後味悪いけどいい映画でした!)と重ね合わせて思ったんだけど、現実が厳しいなら妄想の世界に逃げ込んで帰って来ないのも手かな、と。「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」のように。

なんてね。では、行って来ます。現実世界という妄想の中に。

ヨーロッパをさすらう異形の物語 上―中世の幻想・神話・伝説 (1)
ISBN:4760131906 単行本 村田 綾子 柏書房 2007/09 ¥2,310

風邪ひいた

2007年11月6日 日常
ぴりぴりとかどきどきとか言ってたらガクガクブルブルになってしまいました。気をつけた方がいいですよ、みなさん。ことしの風邪は性質が悪い。いきなり来て、だらだら続きます。ちょっとよくなったかな〜、と思ったらまたぶり返す。その連続です。仕事が立て込んでいて会社を休めないのも一因なんでしょうが。悪いことにこういう時に限って家のパソコンが壊れてて外じゃないと仕事できないんですよね…。

でもぼろぼろの状態で仕上げたレポートは絶賛されました。簡潔にまとまってていい!って。いや、長々書く気力がなかっただけなんだけど。

具合悪くてぼっとしてるからか、きょう偉い人会議で、あさって公開のプロジェクトについて「(数字)取れるよね?」って役員に聞かれて「はい。取れます!」ってつい反射的に言い切っちゃった。に、逃げ道断っちゃったよ自分で!大丈夫かなぁ…。ホントに頭働いてないよ〜。

個人的フランクリー・オコナーブーム到来。この「賢い血」もぞくぞくしながら読みすすめています。熱、上がりそうだけど。

賢い血 (ちくま文庫)
ISBN:4480034765 文庫 須山 静夫 筑摩書房 1999/05 ¥651
午前中。
バイオリズムがよくないのか先週末あたりから小さなトラブルが次々勃発。さらに来週締め切りのレポートと再来週締め切りの企画書を抱えて心の中はぴりぴりMAX。でもまあ外には出てないだろう、と思ってたんだけど、遠くから先輩社員がこわごわ近づいてきているのが目に入り、自分が外にもぴりぴりオーラを撒き散らしていることに気づく。らしくない。反省。


午後。
女ともだちと食事。元バリバリの営業ウーマンだった彼女があっさり仕事を捨て専業主婦になって1年半。「仕事もしないで一日家にいると自分がいかに無価値な人間か思い知らされる」という愚痴を聞き続ける。「仕事をしていたとしてもその無価値感からは抜け出せないよ、つきつめてしまえばすべてのものに価値なんてないんだから」と思うが、そう言ったとしても彼女は救われないだろうから黙ってうんうんと聞き続ける。それにしても「ばりばり」って擬音語なんだろうか擬態語なんだろうか。どっちでもいいですね。彼女と別れて気が沈んだまま会社へ戻ると、アマゾンで頼んでいたフラナリー・オコナーの「存在することの習慣」が届いていたので少し浮上する。

夜。
スタッフ数人と飲みに行く。隣の席に座った女の子(べろべろ)に、「たこバスさん、この中に好きな人とかいないんですか〜」と聞かれどぎまぎしていると、「あたしはたこバスさんのこと好きですよ〜」と、みんなに見えないように手を握られる。どきどき。たぶん酔ってて明日会ったら忘れてるんだろうな。そうであって欲しいな。

存在することの習慣―フラナリー・オコナー書簡集
ISBN:4480836438 単行本 横山 貞子 筑摩書房 2007/03 ¥4,410
童顔だからか、人当たりを柔らかくしてるからか、その両方か。自分ではわかりませんが、ぼくはどうも「ガツンとやると御しやすいタイプ」だと思われやすいみたいです。きょうもある芸能プロからどう考えてもいちゃもんとしか思えないことで「どう責任とってくれるんだ」って言われ、「じゃあ今後一切お付き合いをやめましょう」と返すと相手は「いやいやそんなつもりは…」と焦り出し。くだらない駆け引きするなっつーの。ほんっとレベルの低い人間が多くて嫌になる、この業界。

っていうかぼくが「殴られたらしゅんとする人間」じゃなくて、「殴られたら同じくらいの強さで殴り返す人間」だとわかってもらうにはどうすればいいのだろうと真剣に悩み中です。別に喧嘩したくてしてるワケじゃないからね…。「この人は喧嘩を買う人なんだ」ってわかってもらった方が結果的に喧嘩の回数も減ると思うし。もう最近無駄な喧嘩ばっかり買ってて疲れがちです。アシスタントのお姉さんにも「タスマニアンデビルみたいですね」って言われるし。サングラスでもかけようかなぁ…。はあ。

ストレス解消に会社の近くの本屋で若島正さんの「ロリータ、ロリータ、ロリータ」を買ったら、普段は「カバーおかけしますか?」って聞く店員さんが、何も聞かずにカバーをかけてくれました…。ん?
も、もしかして勘違いされたんじゃ??いや、これはナボコフの名作「ロリータ」の解読本であって、エッチな本でもそういう性癖の人向けの本でもないですから!と声を大にして言いたかったです。言わなかったけど。

ISBN:4861821576 単行本 若島 正 作品社 2007/10/23 ¥2,520
「トヨ●は女性の活用に力を入れ、仕事と家庭の両立やキャリア形成を支援しています」って言うけど、この人の場合↓全然会社は支援できてないのでは…。
http://www.toyota.co.jp/jp/vision/diversity/case04/index.html
4時半起床で23時就寝だよ!睡眠時間5時間半。ってかすぐ寝られるわけじゃないだろうからたぶん4時間台…。「支援」っていうより「おやりになりたいならどうぞ〜(BY堤オーナー)」って感じ。どんだけ社員にムリさせとんねんって話のような気がしますが、いいんでしょうか。ってかダンナももうちょっと協力しようよ!
家で仕事しながら、録画してあったNHKのトップランナー「チャットモンチー」を見てました。前からチャットモンチーのボーカルの橋本絵莉子さんは天才だと思ってて、彼女がどうやって歩んできたのか、どんなふうにしてその才能を開花させてきたのか知りたかったので。で、ちらちら見てるうちに引き込まれてって、最後の方は仕事を忘れてうるうるしてました。

チャットモンチーはそもそも四国・徳島の女子高生3人組のアマチュアバンドでした。地元ではインディーズCDを出すなどかなりの人気バンドでしたが、ボーカルの橋本さん以外はプロになる気なんてさらさらなく、卒業と同時にバンドは解散。一人残った橋本さんは、チャットモンチーのファンでしかなかった同級生の福岡さんをバンドに誘います。福岡さんは当時ベースなんて未経験。でも橋本さんのためならと真剣に練習し、ふたりで鳴門教育大学の軽音楽部で活動をスタートさせます。でも、残念ながら「絶対プロになる!」という強い気持ちで活動するふたりに、趣味としか考えていない軽音楽部の他メンバーからの賛同は得られず、ふたりは孤立してしまいます。
そんなふたりを見ていたのが、名門高校の吹奏楽部でパーカッショニストとして活躍し、軽音楽部でもドラマーとして誰よりも優れたテクニックを持っていた1年先輩の高橋久美子さん。高橋さんは、ふたりの音楽への情熱に打たれ、幼い頃からの夢だった音楽の教師の道を捨て、チャットモンチーに加わります。高橋さんの加入でチャットモンチーはその音楽的世界観を完成させ、プロへの道を一直線に進んでゆくことになるのです。
仕事の企画書書きながらもうこのヘンからうるうるですよ。ちょっと!パソコンのモニターの文字が滲んで見えないけどどうしたの?!みたいな。なんで橋本さんが天才なのかちょっとわかりました。そうか。天才って、人の人生を変えるために生まれてきた人のことなんだ。自分ひとりでは見られなかった夢を、見せてあげられる人のことなんだ。ごく普通の音楽ファン高校生だった福岡さん。まっすぐに音楽教師の道を歩んでいた高橋さん。ふたりは橋本さんとの出会いによって、まったく違う人生を歩むことになりました。それまで考えもしていなかった、もうひとつの人生。高橋さんは言います。
「それまで、自分の道はずっとまっすぐで、絶対変わらないと思っていた。でも、変えられることもあるんだなあ、ってわかった。そしてそれは、とても素敵なことだと思った」

ちなみにチャットモンチーについて知りたい方はこちらを。
http://www.chatmonchy.com/disco/index.html

家族ってコワい…

2007年10月14日 日常
っていうのがあのボクシングのあれこれをめぐるぼくの感想です。今や日本中のバッシングを一身に受けている亀田三兄弟ですが、つい何か月か前までは日本中がもてはやすヒーローだったんですよね…。なのに日本中が手のひら返してのこの嫌いようはいくらなんでも極端じゃないかなぁ、と当初からまったく興味のなかったぼくなどは思ってしまいます。いや、もちろん亀田兄弟の振る舞いはあまりにもルールを逸脱してるし許されることではないけれども、そういうことがわかっていた上でみんな応援してたんじゃないの?だってこの人たち最初からこうだったじゃん。この人たちの品性とか態度は当初から全然変わってないよ?って。でも多くの人たちがこれだけヒステリックに「アンチ亀田」と化してるのを見ると、仕事上の立場からもこの状況を分析してみたくなっていろいろ考えました。で、思い至ったのが「家族ってコワい」ってことでした。
「亀田ファミリー」は「揺るぎない父性」の上に成立した「母なき家族」で、しかも「階層化社会」の中で「排除された」側の人間だった。「排除された家族」が「絶対的な父」のもとで「自分たちを排除した社会」に復讐してゆく。その物語は「下流社会」「父の喪失」「母の王国と化した家族」という問題に直面しているこの国に、特にこの国の社会からも家庭からも「排除された」男たちに熱狂的に迎えられた。そして「理想の家族」というレッテルが(主に男たちから!)彼らに貼られ、それが彼らの「本質」を見えなくさせていった。
しかしその「かつて排除されてれた家族」は、勿論「理想の家族」などではないので、「上流」にも「中流」「下流」にも属しなおすことはなく、やがてすべてを手にしていってもその「排他性」を変えることがない。なぜなら彼らにとって「家族以外はみんな敵」で、その構図は絶対に変わらないから。そう言えば、阪神大震災のあとも、本来助け合うべき被災者の中の家族のいくつかは、避難所のいちばんいい場所に勝手にテントを立て、救援物資を占有して家族だけでテントの中に閉じこもっていたといいます。たぶん、亀田ファミリーのメンタリティもそうした「自閉した家族」と連なるものでしょう。
ということで亀田ファミリーは勝手に「理想の家族」と持ち上げられてしまったがゆえに、その醜悪な正体が明らかになるにつれ、ここまで過剰に人々に「裏切られた」という気持ちを強く抱かせてしまっているのでしょうが、実際には彼ら自身の姿勢は一貫しているわけで、彼らとしては世間の豹変振りにさぞ困惑していることでしょう。勝手に幻想を持たれ、勝手にバッシングされている家族。まあ望んでメディアに出て行ったのだから自業自得と言えなくもないですが。こんな本まで出してるし。
しかし「亀田ファミリー」は「理想の家族」なんかじゃないってみんな最初から気づいていたら、いい大人が「裏切られた!」って血管切れるくらいに怒らなくてもよかっただろうに、と思います。でもこれからもみんな求めてしまうんでしょうね、「どこかにあるはずの理想の家族」を。そしてまた別の新しい「XXファミリー」をその類型に当てはめて、そうでないことがわかった時に声高に裁くのでしょう。「おまえたちは理想の家族なんかじゃなかった!」って。「理想の家族はどこかにある」って信じるがゆえに。そろそろ認めようよ。理想の家族なんてどこにもないって。

酔ってて文章が辻褄合ってないかも。あとで直します。おやすみなさい。

闘育論―亀田流三兄弟の育て方
ISBN:4420310146 単行本(ソフトカバー) 亀田 史郎 創美社 2006/02 ¥1,260
相撲界、大変ですね…。態度の横柄な横綱(たぶん人間のレベルとしては「エリカ様」並み)の問題行動と違って、いま世間を騒がせている「時津風事件」は、大相撲の歴史上の転換点になりそうな気がします。当初ぼくは「親の立場」であのニュースを見て、当事者であるはずの「親方」があまりにも「他人事」のような態度を貫いていることに強い怒りと疑問を感じました。でも「相撲とは何か」をよく考えれば、なぜ親方がああいう態度を取ったのか、わかる気がしました。
大相撲、目の前で見たことありますか?ぼくはかつての「若貴時代」に仕事で何度か見たことがあるんですが、も〜スゴイですよ。何がスゴイって、肉と肉、骨と骨がぶつかりあう音が響き渡るのが。たぶん、何の訓練もしてない一般人がいきなり土俵に上がったりしたら、一発で死ぬだろうな、ってくらいの真剣な肉体のぶつかり合い。殺るか殺られるか、みたいなぴりぴりした空気。たぶん、相撲の世界では、自分の中の「人間」の部分を殺して、自己を最大限に「動物化」しないと生き残って行けないだろうと思います。土俵は戦場で力士は兵士である、と考えたらわかりやすいかも知れません。
そう考えれば、「親方」というのは自分を最大限に「動物化」することに成功した人物で、相撲部屋とは「人間が動物になる訓練をする場所」なんだと言えるでしょう。そういう場所で起きた事件です。被害者は「人間」のままで「動物」になり切れなかった。一方で、加害者は「動物」だった。飢えた「動物」の群れの中に放り込まれた人間がどうなるか。
多くの人が指摘するように、「こういう事件は今回が初めて」なんてこと、ありえないと思います。たぶん過去何度もこういうことが繰り返され、そして闇に葬られてきたのでしょう。人間を動物化する過程で起きた、「事故」として。だから、親方は自分がなぜ解雇されるのか、最後までわからなかったのだと思います。「フルメタルジャケット」のハートマン軍曹が、なぜ殺されたのかわからないまま死んで行ったように。
今回の事件をきっかけに、相撲という競技は今後ますます加速度的に衰退するしかない、と考えます。だって世間の常識で考えれば「かわいがり」は「集団リンチ」でしかないし、そうやって世間の常識を当てはめれば、相撲部屋と言う「人間を集団的に動物化する場所」というものは異常にしか映らないからです。そして当事者たちは、その「異常性=人間の動物化」こそが大相撲を大相撲たらしめているものだと困惑するでしょうが、彼らはその「動物性」ゆえにそれを理論化する言語を持ち得ない。
たぶんこのままいけば相撲協会は「外部の血」を導入せざるを得ないでしょうが、「外部」は「内部の理論」を言語化してくれないだろうし、それどころか「相撲界と言う戦場の常識と世間の常識とのズレ」をますます顕在化させてゆくでしょう。そうして、やがて相撲界の「人間を動物化するシステム」は致命的に損なわれてゆく。「国技」の座に安住し、世間の目を排除し続けてきた相撲界に同情の余地はないし、仕方のないことだとは思いますが、これでまたひとつ、海外の人が日本に来て楽しめる「オリエンタルの異文化」が消えてゆくのかなあ、と考えると少し淋しい気はします。

エリカ様…

2007年10月3日 日常
謝っちゃったんですね。しかも1年間の謹慎だとか。残念。いや、あのキャラは「あり」だと思ったんですけどね。表ではニコニコしてても裏では挨拶ひとつしないような、「外面いい」タレントばっかりの中で、絶対に愛想笑いなんかしない!事務所が受けた仕事であっても嫌なものは嫌だ!っていう生き方は、自分で腹をすえて、かつ自分で全部を背負って選択してゆくのであれば、「全然あり」だと思ってました。少なくとも場所によって「自己」を次々と変えざるを得ない芸能界みたいな場所で、狂ったり薬やセックスに依存したりしないでいきてゆくためには、ああいうかたちで「絶対に変わることのない自己」を(スタイルであれ、本来の姿であれ)ひとつ持つというのは、戦略として間違っていない、と思います。それに芸能界に限らず、「弱者は強者の不機嫌に耐えなければならない」というのはたぶんビジネスの世界で(多くの場合「家族」においても)その成員が受け容れねばならない現実のひとつだと思うし、またそういう不機嫌な振る舞いを許されることでしか彼女は自分が「強者」であることを実感できなかったのかも知れない。だから、一緒に仕事するのは個人的には嫌だけど、職業人として考えれば嫌ではない。だってひと昔前の芸能人とかキャスターの人ってあんな人たちばっかでしたから。しかも裏で。表には絶対出ないかたちで。彼女は「表裏なく不機嫌キャラ」としてあのキャラを「芸」にまで高めていって欲しかった。少なくとも「別に〜」が流行語大賞になるくらいに。残念です。事務所の腹が据わってなかった、ってことなんでしょうね。彼女が最も「エリカ様」を際立たせた場所にいたスタッフに聞いた限りでは、「控え室からいきなり仁王立ちモードでエリカ様全開だったけど、まわりにいた事務所関係者は社長も含めにこにことそれを見ていた」っていうからあるところまでは「放し飼い」か「事務所公認キャラ」だったと思うんだけどなぁ。「ご迷惑をおかけしました」って言われても我々みたいな直接実害のない受け手は「楽しませてくれてありがとう!」という思いしかないですけどね。だって現実世界ではあんなふうな「わかりやすいキャラ」に出会うことは滅多にないですから。「いちばんにこやかな人間がいちばん鋭利な刃物を心に隠し持っている」ようなことばっかりだから。

フジテレビ ビジュアルクイーンオブザイヤー’02
「沢尻エリカ」DVD フジテレビ 2002/08/07 ¥3,990

10月ね。

2007年10月1日 読書
シャッターのおろされた日曜日のオフィス街をふらふら歩いていたら、どこからか金木犀の香りが。すっかり秋ね。しかし秋って「秋ね」って感じですよね。夏だ!冬だ!春が来た!って感じとは違う、独特の何だかベレー帽かぶった感じ。ちょっとステレオタイプすぎるかしら。
ようやく仕事もひと段落し、空き時間に読書に没頭できる環境が出来てきました。植物が水を欲するように、脳が活字を欲しているのですごいスピードで読み続けています。時折こういうどんな本でもさくさく読める時期があるんですがどういうことなんでしょうね。これぞ「読書の秋」?この勢いでずっと読もう読もうと思って挫折している「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」に挑戦しようと思います。絶対に結びつき得ないものを「このふたつはつながってる」っていう「思いつき」だけでどうやって結びつけていったのかという思考過程と、その力技がなぜ読者を納得させ得たのかという点にすごく興味があるんですが、いつも途中でくじけちゃうんですよね…。今度こそ!
週末読んだ本の中では内田樹さんの「村上春樹にご用心」が面白かった。内田さんの本って「いちばん用心しなくちゃいけないのはアンタだよ!」ってくらいわけのわからない説得力があるんですが、この本も油断すると「持ってかれる」本です。自分なりにわかったことは、村上さんのいう「倍音」とか内田さんのいう「響き」ってぼくが所属してる世界で言う「いい感じの尺」とちょっと似てるかも、ってことでした。それが身についてる人と身についてない人とでは出来上がったモノに大きな差が出来る、いちばんのもの。「感覚」とか「センス」って呼ばれてるものに近いかも知れない。ぼくにそのセンスがあるかどうかはわかりませんが、少なくともその感覚が「合わない」人との仕事は悲惨です。「言ってる意味がわかりません!」って顔されちゃうから。幸いここ10年くらいやってるスタッフはその「感覚」が共有できるので「ここ短いよね」っていえば「ああそうだね」って通じ合えます。わかりづらくてすみません。ああ、だからダウンタウンにせよナインティナインにせよ、独特の「間」を大事にする人は決まったスタッフとしか仕事しないのかなあ。でもそれを越えるとたけしさんみたいにどんなスタッフと組んでも自分のオーラをスタッフに伝染させてゆけるようになるのかなあ。う〜ん。
村上春樹から遠く離れてしまいましたが、村上春樹の解読本としてはこれ以上のものはおそらく(日本語のものとしては)二度と現れないだろうと思いました。内田さんが指摘しているように「父について書かない」村上春樹は日本の文壇にはたぶん「意味がわかんない」存在だから。村上春樹の「倍音」は聞き取れない人には絶対聞き取れない。ぼくは自分が同時代にその音を「聞き取れた」ひとりであることを幸せに思っています。かなり。
さあ、ラストスパートだ。仕事に戻ります。

村上春樹にご用心
ISBN:4903951006 単行本 内田 樹 アルテスパブリッシング 2007/09/29 ¥1,680

< 2 3 4 5 6 7 8 9

 

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索