記録

2010年3月29日 音楽
ジョニー・デップの出てる“CREEP”のPVがたまらない。
何度見てもよくて、こればっかり見ながら仕事してます。
以下、思いつき。

すべては、より小さくなる。
コンピューターも、ケータイも、経済も、ペットも、そして世界も。

恋をすると「外部」に触れる。
自分のとは違う、もうひとつのモナドに。
自分が“CREEP”であり、
相手が“ANGEL”であるかのように感じる。
思いが募るほど、相手との距離は広がる。
そしてその距離が永遠に縮まらなければ、
対象は「神」になる。
けれど、「神」なき国では、そうした
「縮まらない距離」が価値を持たない。
理想の距離はゼロcmで、
でも、
対象との距離がゼロcmになった時、
「関係」は終わる。

世界が最小になった時、世界は終わる。

ぼくたちが待ち望んでいるものは、新しい世界を見せてくれるものではなく、世界を終りに近づけるもの、世界をより小さくしてゆくもの、対象との距離をゼロcmに近づけてゆくものだ。それはきっと変えられない。






はかどる

2010年2月15日 音楽
仕事のBGMに西野カナ。
集中力が高まる。
なんでだろう、ほどよいマイナーコード感に
ほどよいアップテンポ?
初期の宇多田ヒカルに似通ったものがあるかも。
特に「君に会いたくなるから」はいい感じ。
企画書2本、書きあがりました。

しかしいつまでこんな「いつまでも続く期末テスト前夜」
みたいなことやってるんだろう。
でもこうしているうちに空が明るくなってきたり、
新聞配達のバイクの音が近づいてきたりする感じがたまんないんだよね。
たぶんこのまま寝ないで会社に行くだろうけど、
会社で寝ないようにしなきゃな…。


もてあます…

2010年1月18日 音楽
ぼくはしょせん妄想好きのおたくで、
パーティーで人に会ったりするのは実は苦手で、
研究室で一生を過ごすのが夢だった、
なんでこんなとこにいるんだろう…。

明星

2009年6月1日 音楽
いいっすね。
こんな感じでシンプルに行きたい。
と言いつつ複雑にしてるのは自分自身だったりして。

世界が溶解してきた。

最近ひっかかったモノ

・ナンパを科学する 坂口菊恵 (東京書籍)
・あたりまえのこと 倉橋由美子(朝日文庫)
・ヴォーグニッポン MANGAとファッション
・ありあまる富   椎名林檎
・お買い物中毒な私!
・ヴィニシウス 
・東京カワイイTV
・音楽寅さんのフォークソング特集
・日経ビジネス「物欲消滅」

そういえば「1Q84」はあれでホントに終わりなんだろうか。
3・4がすぐに出るんじゃ…。




告白

2009年2月17日 音楽
ああ、いま聴きたかった…。
チャットモンチー聴きながら企画書書きたかった。
チャットモンチーのテンションで書きたかった。
何かにすがらないとテンションが一定に保てないんだよ。
上がったり下がったりじゃ企画書にならない。
YOUTUBEには全然上がって来ないし…。
ニコニコ動画探そうかな。
ミューズにすがるのはわかりやすいけど、
落ちた時にもう這い上がる自信がないしなぁ…。
毎日何かを失っている、
けど根拠のない自信にあふれてる、
そんなすっごい切ないけど揺るぎのない精神状態、
それが欲しい。
そこで自分を保ちたい。
あと5日。

恋バス

2008年12月3日 音楽
いい曲ですね~。
仕事がはかどるのでついついエンドレスで聴いてます。
あとAYUSE KOZUEも最近よく聴いてます。

とにかく相変わらず仕事に追われてて、
プライベートで人と会う時間が全くない毎日です。
まあでも好きな仕事してお金もらえてるだけ恵まれてるよなあ、
と本気で思います。日経とか読んでると。

なんか「定型」でない文章を書くのが久しぶりなんでとりとめなくてすみません。
近況としては
・川端康成に今更ながらハマっています。
・引っ越そうかと思いながらも結局忙しくて物件見る暇もなく、更新しました。
 あと2年は同じところに住むと思います。
・会社の近くの店の「豚しゃぶそば」が超おいしいです。安いし。
・来年2月にイギリスに行って英語で交渉しなければならない羽目になり、  
 いまあせりながら英語の勉強やってます。
 「英作文は高校入試の長文読解の参考書を買い、日本語訳を英語に直すといい」
 ととある本に書いてあったのでやってますが、確かに結構いいかも。
 大学受験の時にこのやり方見つけられてたらなあ、と思いつつ、
 結局社会に出て切羽詰らないと勉強って出来ないんだよなあ、と改めて。
・最近見たテレビ番組ではタモリさんの「ハテナの殿堂」って番組が
 すごく面白かった。まだまだ「新しいこと」ってあるんだなあ、と
 ちょっと励まされました。そんな毎日です。



閃光少女

2008年4月8日 音楽
コレ聴いて仕事してたら元気出てきました。
単純すぎる…。
「決して汚せないぼくらの青いキャンバス」とか、ちょっと前なら「あの頃の未来にぼくらは立っているのかい」とか、「無垢な学生時代」と「汚れてしまった社会人生活」という二分論で社会を切り取ってしみじみする歌が多くて、ちょっとそれってどうなのよ、と思いました。確かにこの「キャンバス」って曲もいい曲だとは思うけれど、その斬り方ってあまりにも単純すぎやしないか、と思います。たとえばぼくは、外見的にはおじさんにしか見えないと思うけど、内面的な「精神的成長」は大学出て3年くらいのとこで止まってる気がする。ただ、成長しなかった代わりに「汚れた」とも思わない。大学は「決して汚せない青いキャンバス」と呼べるほどのユートピアではなかったし(そうだよね?)、社会は「これからに流されても」というほど、不必要な無力感を感じる場所ではない。そう思います。たぶん、高校とか大学って、1年も経てば「尊敬される先輩」の立場を割合たやすく獲得できるけど、社会人ってなかなかそうは行かなくて、ぼくも何となく「後輩に物事を教える資格があるかも」と思えるようになったのはここ1、2年のことだったりするので、そういう意味で「成長できなかった」だけかも知れませんが。
要するに「社会って、平井堅とかSMAPが歌ってる程ひどいとこじゃないよ、意外と楽しいから怖がらなくてもいいよ」ってことで。平井堅もSMAP(ってかスガシカオか)も、いい大人なんだから「大人ってこんなに楽しいよ!」って曲を歌おうよ、って気がちょっとしました。すみません、大きなお世話ですね。

キャンバス  平井堅 CD ソニーミュージックエンタテインメント 2008/02/20 ¥1,223
家で仕事しながら、録画してあったNHKのトップランナー「チャットモンチー」を見てました。前からチャットモンチーのボーカルの橋本絵莉子さんは天才だと思ってて、彼女がどうやって歩んできたのか、どんなふうにしてその才能を開花させてきたのか知りたかったので。で、ちらちら見てるうちに引き込まれてって、最後の方は仕事を忘れてうるうるしてました。

チャットモンチーはそもそも四国・徳島の女子高生3人組のアマチュアバンドでした。地元ではインディーズCDを出すなどかなりの人気バンドでしたが、ボーカルの橋本さん以外はプロになる気なんてさらさらなく、卒業と同時にバンドは解散。一人残った橋本さんは、チャットモンチーのファンでしかなかった同級生の福岡さんをバンドに誘います。福岡さんは当時ベースなんて未経験。でも橋本さんのためならと真剣に練習し、ふたりで鳴門教育大学の軽音楽部で活動をスタートさせます。でも、残念ながら「絶対プロになる!」という強い気持ちで活動するふたりに、趣味としか考えていない軽音楽部の他メンバーからの賛同は得られず、ふたりは孤立してしまいます。
そんなふたりを見ていたのが、名門高校の吹奏楽部でパーカッショニストとして活躍し、軽音楽部でもドラマーとして誰よりも優れたテクニックを持っていた1年先輩の高橋久美子さん。高橋さんは、ふたりの音楽への情熱に打たれ、幼い頃からの夢だった音楽の教師の道を捨て、チャットモンチーに加わります。高橋さんの加入でチャットモンチーはその音楽的世界観を完成させ、プロへの道を一直線に進んでゆくことになるのです。
仕事の企画書書きながらもうこのヘンからうるうるですよ。ちょっと!パソコンのモニターの文字が滲んで見えないけどどうしたの?!みたいな。なんで橋本さんが天才なのかちょっとわかりました。そうか。天才って、人の人生を変えるために生まれてきた人のことなんだ。自分ひとりでは見られなかった夢を、見せてあげられる人のことなんだ。ごく普通の音楽ファン高校生だった福岡さん。まっすぐに音楽教師の道を歩んでいた高橋さん。ふたりは橋本さんとの出会いによって、まったく違う人生を歩むことになりました。それまで考えもしていなかった、もうひとつの人生。高橋さんは言います。
「それまで、自分の道はずっとまっすぐで、絶対変わらないと思っていた。でも、変えられることもあるんだなあ、ってわかった。そしてそれは、とても素敵なことだと思った」

ちなみにチャットモンチーについて知りたい方はこちらを。
http://www.chatmonchy.com/disco/index.html
大丈夫かなぁ、大塚愛。
heartって曲のプロモがいまやたら
音楽チャンネルとかでかかってるんですが、
http://www.youtube.com/watch?v=KLiWknES2oM
その中の彼女のカットのどれもこれもすべてが
「男の性的欲情を刺激する」カットなんですよね。
で、たぶん彼女は自覚的にそれをやっている。

これは疲れるだろうなぁ。不特定多数の男たちの欲情した視線にさらされていることを自覚しながら、かつ「欲情装置としての女」である自分をあえて引き受けると言うのは。
女性がある年齢になるとおばさんになってしまうのは、そうした生き方にムリがあるからだとぼくは思います。男の欲情の対象として自己を見出し続ける生き方と言うのはどう考えても自然じゃない。もっとも最近個人的にハマッてる心理学者コフートによると「自立」なんてものはありえなくて、「依存」の先にあるのは「よりよい依存」でしかない、ということらしいんですが、だとしても「欲情装置」として男の欲情に依存するのだとしたら、それは「あなたでなくてもいい」のだし「代わりはいくらでもいる」。ウインドウに並べられた商品のひとつにしか過ぎない気がします。シーズンが終われば新しい商品に取って代わられる。
ぼくはフェミニストでも何でもないですが、大塚さんみたいな痛々しいまでに欲情装置であることに自覚的である人を見ると、もっと違う生き方があると思うよ、たとえば欲情の針を過剰に触れさせて笑いに転じる倖田來未さんの戦略とか、と(勿論届かないですが)言ってあげたくなります。ただ残念ながらぼくも大塚さんの自覚的な振る舞いにそれでも欲情してしまっている以上、欲情装置としての女性という概念の維持に加担していることに違いはないのですが。そろそろ解放されたいです。セックスをめぐるあれやこれやから。1957年のフラニーは「エゴ、エゴ、エゴ!」と叫んだけれど、2007年のフラニーは「セックス、セックス、セックス!」と叫ぶかも知れませんね。ただ、2007年のフラニーに電話をかけてあげられるゾーイーはまだ現れていない気がします。少なくとも上野千鶴子さんや内田樹さんのような「セックスなんてくだらないことにいつまでとらわれてるんだ!」って言い方では全然救われないと思います。難しいですね…。

LOVE PiECE(DVD付) 大塚愛 CD

妄想ですが

2007年9月26日 音楽
よう「たけちゃん、ようね、こんどの曲、
   たけちゃんと組むのやめる〜」
小林「えっ!何でだよ、よう!」
よう「こんどの曲はたけちゃんへの
   プレゼントにしたいんだ。
   だから。出来上がったら聴いてみてね」
小林「(不服そうに)わかったよ…」

3か月後。
深夜、部屋の中でひとりヘッドホンで曲を聴きながら。
小林「よう…ありがとう(サビのとこで落涙)」

…なんてことがあったりして、とこの曲を聴きながら妄想してしまいました。何の先入観も持たずにただ曲を聴けば、オッサン向けのカラオケの曲としていいかな、くらいの曲だと思うんですが、一青窈さんが現在置かれてるシチュエーションにおいて(しかもアレンジャーを小林さん以外の人に頼んで)あえてこの曲を出したって考えると、これはもうすさまじい曲です。やっぱり恋愛って狂気だなっていうか、結婚ってものが所詮は紙切れ一枚に守られたものでしかなくて、恋愛至上主義の中でさらに絶対的なものではなくなっている、っていう流れの中で、ついにここまで「奥さんのいる人との恋愛」を肯定的にかつ挑発的に歌う曲が出てきたか、という感慨を持ちました。
もしも私が先に死んであなたを悲しませるなら
どんなに傷ついても今を生きるため負けない
ある意味壮絶なまでの覚悟ですよね…。
でも「結婚」は他人への愛を要求するけど「恋愛」は自己愛でも成立するから恋愛の方が絶対に結婚より楽で、結局は(特に男は)みんな楽な方へ流れてゆくんだな、って結婚に失敗したくせに他人事のようにあれこれ考えてしまうきょうこの頃です。
しかし挑戦的だなあ、一青窈 。この曲、世間にどう評価されるのか、黙殺されるのか、楽しみです。

つないで手 一青窈 CD 2007/09/19 ¥1,260

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