おっさん化

2009年7月5日 読書
「お買い物中毒な私」とか「トランスフォーマーリベンジ」とか、
食事で言えばフレンチみたいなものばっかり接触してた反動か、
最近「剱岳」が見たくてなりません。
でも周りの人誘っても反応がイマイチ…。
いいと思うけどなぁ、木村大作。
なんてことを思ってたら知り合いから券をもらったので
近々行って来ようと思います。


読書も最近はめっきりおっさん化してます。「御堂関白記」に続いてはこの「昭和史」の新書(?)版。ハードカバーで読んだ気がするんだけど、初めて読むみたいな感動!いかに当時の自分が(今よりさらに)浮ついてたかよくわかります。

このところ新しいことが全然思いつかないでじたばたしてたけど、焦るのはやめました。仕方ない、出てこないときは出てこないよ。とりあえず目の前の仕事をしっかりやり直すことから始めようと思います。新しい概念とか新しいコンテンツとかを血眼になって追いかけてたけど、もっと地道なことをちゃんとやろう。

代官山の“zassi cafe”で読んだ2001年のrelaxで、マーク・ジェイコブスがずっとピンクのスニーカーを履いてる理由を聞かれて、ある人にこうアドバイスされたから、と答えていた。

「きょう一日を大事にするために自分の足元を常に見ていなさい。自分の足で立っていることを意識するように」


昭和史 1926-1945 (平凡社ライブラリー は 26-1)
単行本(ソフトカバー) 平凡社 発売:2009/06/11 945円

春ですね~。

この本、すっごいカンドーした!
感動しすぎてイッセイミヤケのシャツ買っちゃった!

どうかしてる…。


ふりかえりモード

2008年12月22日 読書
なんか風強いですね。
ことしは今までみたいに企画の仕込みのためのインプット、企画の発案のためのアウトプットだけじゃなく、企画を実現させるためのストラテジー(戦略)を考えなければならないことが多くて、それはそれで面白い1年でした。なんにせよ、新しいことをやれるというのは。でも、すごく優秀だった人が突然ダメになるのは、この「ストラテジー」をやりすぎると「アウトプット」がおろそかになるからなんだろうなあ、とちょっと思った。「戦略」はキャリアを積むほどうまくなるけど、「企画」はその都度毎回上も下も横一線だからね。「戦略」に走りたくなる気持ちもわかる。でもそれだけだと人間ダメになるよ、とミライの自分に。

振り返りついでに、「ことし読んでテンションが上がった!5冊」を。

1)ジュンパ・ラヒリ「見知らぬ場所」(新潮クレストブック)
「停電の夜に」の作家さんの新作。アメリカで4月に出たのの翻訳が8月にはもう出た!しかもどれもすごくツボでした。

2)萩元晴彦ほか「お前はただの現在にすぎない」(朝日文庫)
1968年に出たテレビ論の「古典」の復刻版。面白かった。まだ革命を信じてた頃の言葉遣いがかなり耳障りだけれど。むのたけじさんとか、澤田隆治さんとか、40年間まったくブレてない人たちがいてスゴイ。

3)若桑みどり「クアトロ・ラガッツイ」(集英社文庫
仕事で歴史関係の本を読むことが多かったんだけど、ことし出た中ではコレがダントツに面白かった!いわゆる「天正少年使節団」の波乱の運命について書かれた本。ジャニーズとかでドラマ化してくれないかな。

4)ミルキイ・イソベ「ブックデザイン・ミルキイ流」(毎日コミュニケーションズ)
本の装丁について、自作を例にとって手取り足取り教えてくれる、本好きにはたまらん1冊。いまだ熟読中です。

5)大塚ひかり「全訳 源氏物語1・2」(ちくま文庫)
源氏物語のエロの部分にこだわり抜いた新訳。超パワフル!いや~、仕事はここまでやり切らなきゃ!と励まされます。早く3巻が読みたい…。




たまには

2008年2月26日 読書
ラインマーカー片手に1日で3冊も4冊も読み進める読書じゃなく、一行読むごとに遠くに目をやるような読書をしよう、と思って本屋に寄ったら、この本が目に入ってきました。「志賀直哉が愛した名随筆家」らしいです。せっかくだから、一行一行ゆっくりゆっくり味わって読んでゆきたいと思います。うん、でもこのところ柄にもなく飛ばしすぎたかも。ちょっとスピードをゆるめよう。
東海道品川宿―岩本素白随筆集 (ウェッジ文庫 い 5-1)ISBN:4863100132 文庫 来嶋 靖生 ウェッジ 2007/12 ¥700
去年読んですごく好きになった本で、人にもプレゼントしたりしていたのだけれど、地味な本だから売れないんだろうな、と思っていたら、きのう都内の大きな本屋で平積みになっていて、しかも増刷かかっていたからそこそこ売れてるみたいでちょっとうれしかった。
表題作はアメリカにやってきたナイジェリアの女性の話で、人が「居場所」を見つけてゆくまでの物語なのだけれど、とても描写が細やかで、詩的で、何度でも読み返したくなります。たぶん翻訳家の力も大きいんだろうなと思います。表題作は確か原題は「around the neck」とかで、それを「アメリカにいる、きみ」というタイトルにしたのはすごい力技だなあ、と思うとともに、「、」の使い方がなんだか長田弘さん的でぼくは好きです。あと、「ここでは女の人がバスを運転する」も素晴らしいです。ジョンパ・ラヒリとかの雰囲気が好きな人にはおススメ。こういう小説を読むと「世界って“ケータイの電波の届く範囲”のことじゃないんだなぁ」って改めて思います。あと、世界の中心は決して自分じゃないんだなあ、って。あたりまえのことだけれども。

ISBN:4309204791 単行本 河出書房新社 2007/09/21 ¥1,890

Fly me to the Mars.

2008年1月25日 読書
朝からずっと予算のことをこしこしこしこしやってたら遠くに逃げたくなった…。でも逃げるわけにいかないのでこの本を買いました。火星探査の宇宙船が地球に送ってきた映像を写真集にしたものですが、「いままでに見たいちばん遠くの風景」が上書きされて、えも言われぬ気持ちになります。っていうかどうでもいいじゃん、予算なんか!って気持ちに。どうでもよくないんだけど。

火星からのメッセージ
ISBN:4270002190 ランダムハウス講談社 2007/05/24 ¥4,988

きのうに引き続き

2007年12月17日 読書
「人は他者によって救われえないのか」ということをあれこれ考えています。だって、家に帰ってきたら、40年も連れ添ったパートナーがビニール袋かぶって死んでるんですよ?ああ、自分は彼の支えになれなかったんだ、って思いますよね。「ビュッフェとアナベル」は、愛を貫いたふたりの美しい物語として描かれてるけど、そのあたりの絶望感は描かれていない。たぶんふたりは「自立した個人」であることにこだわりすぎたんだと思う。「相手にとってキラキラした存在でありたい」という思いにとらわれすぎたんだと。アナベルは結婚したときと40年経っても全然スタイルが変わらなかった、っていうし。まあ、日本みたいに結婚したらあからさまに「素」を見せ合う緊張感のない夫婦関係、っていうのもどうかとは思いますが、たぶんふたりともが相手に対して真摯でありすぎたんだと思う。ビュッフェには死ぬ前に言って欲しかった。「オレはもうアーティストたりえない、それでもここにいていいか?」って。きっとアナベルはそれを受け入れたと思うんだよね。甘えていいよ、どんなダメなあなたでも受け入れるよ、って。

ライプニッツはすべての存在は「モナド」というもので出来ていて、モナドには窓がない、って言ったけれど、これには二通りの解釈があって。ひとつは、「モナドには窓がなくて閉じられているから、人は結局外からの影響を受けることはなくて、自分の内部にあるもの(神を含めて)からしか救われない」という考え方。もうひとつは、「モナドに窓がないのはモナドが窓そのものだからであって、モナドは閉じられていると同時に開かれている、だから人は外からの影響を自分の中に取り込むことによって変わることが出来るし救われうる」という考え方。ぼくは圧倒的にふたつめの方が好きです。

考えてみればぼく自身が「彼女」の存在によって確実に「救われた」と思うし、それは「彼女」がぼくにとって完全な「他者」ではなくてある瞬間確かに「ぼく自身」であり「ぼくの一部」だったから、だと思います。たぶん「彼女」にとってもそうだったように。まあ日本人は昔から「自我」の境界線が曖昧なので、そういう意味では欧米の人たちより随分生きやすいかもね。

微妙に何が言いたいのかよくわからなくなってきましたが、(いつも酔って書いてます!すみません!)まあとにかく「もう他人じゃないぜ!」っていう日本人独特の距離のとり方、というのは、モナドロジー的にはあり、なんじゃないか、ということで。

モナドロジー・形而上学叙説 (中公クラシックス)ISBN:4121600746 新書 竹田 篤司 中央公論新社 2005/01 ¥1,418

あなたと…

2007年12月17日 読書
合併したい! 
       (BY ヤングジャンプ新春合併号)
ん〜、いいコピーだ。
仕事はこういうテンションでやらなきゃダメだ!って
お手本のようなコピーだね。
編集部の熱気が伝わってくる。
最近ちょっと仕事に疲れ気味だったのでいい刺激になった。
そうだよ。疲れてる場合じゃない。
やりたい仕事を思う存分やれる環境にあるんだから。
もっと先に行かないと。
開けてないドアはまだまだいっぱいある。
うん。がんばろ。

ちなみにきょうは起きたら午後2時だった…。
11時間も寝たよ!一人暮らしの休日の醍醐味だね。
カレーを食べに行ったり本屋に行ったり、本を読みながら
ビールを飲んだりしてのんびり過ごしました。いい一日だった。
明日から仕事のヤマ場第2幕だ。気合入れなくちゃ!

Significant Others

2007年12月16日 読書
せっかく「かけがえのない他者」に出会ったとしても、人生の最後にビニール袋をかぶって自ら死を選ばなければならないのなら、出会わなくってもいいかなあ…結局人は「他者」によっては救われないんだね…と「ビュッフェとアナベル」を読んで思うきょうこの頃です。まあ仕事ばかりで最近「他者」自体に出会うことがないので、余計な心配しなくてもいいんですが。サビシー。
それにしてもあまりにも仕事以外に何の楽しみも見出せていないので、来年からは少し「趣味」というものを持とうかと考えています。しかし「趣味」というものも、持とうと思って持てるものではないのでしょうね、恋と同じで。

明日は散歩がてら最近気に入っている「ヤミツキカレー」に行ってみようと思います。http://homepage2.nifty.com/henobu777/files/umm-ma/yamituki/
んで「完熟トマトとほうれん草のチーズカリー」を食べよう。
ああ、そう考えると少し明日が楽しみになってきたぞ!

…寝ます。

ビュフェとアナベル
ISBN:4902943220 フォイル 2007/08/07 ¥2,940

10月ね。

2007年10月1日 読書
シャッターのおろされた日曜日のオフィス街をふらふら歩いていたら、どこからか金木犀の香りが。すっかり秋ね。しかし秋って「秋ね」って感じですよね。夏だ!冬だ!春が来た!って感じとは違う、独特の何だかベレー帽かぶった感じ。ちょっとステレオタイプすぎるかしら。
ようやく仕事もひと段落し、空き時間に読書に没頭できる環境が出来てきました。植物が水を欲するように、脳が活字を欲しているのですごいスピードで読み続けています。時折こういうどんな本でもさくさく読める時期があるんですがどういうことなんでしょうね。これぞ「読書の秋」?この勢いでずっと読もう読もうと思って挫折している「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」に挑戦しようと思います。絶対に結びつき得ないものを「このふたつはつながってる」っていう「思いつき」だけでどうやって結びつけていったのかという思考過程と、その力技がなぜ読者を納得させ得たのかという点にすごく興味があるんですが、いつも途中でくじけちゃうんですよね…。今度こそ!
週末読んだ本の中では内田樹さんの「村上春樹にご用心」が面白かった。内田さんの本って「いちばん用心しなくちゃいけないのはアンタだよ!」ってくらいわけのわからない説得力があるんですが、この本も油断すると「持ってかれる」本です。自分なりにわかったことは、村上さんのいう「倍音」とか内田さんのいう「響き」ってぼくが所属してる世界で言う「いい感じの尺」とちょっと似てるかも、ってことでした。それが身についてる人と身についてない人とでは出来上がったモノに大きな差が出来る、いちばんのもの。「感覚」とか「センス」って呼ばれてるものに近いかも知れない。ぼくにそのセンスがあるかどうかはわかりませんが、少なくともその感覚が「合わない」人との仕事は悲惨です。「言ってる意味がわかりません!」って顔されちゃうから。幸いここ10年くらいやってるスタッフはその「感覚」が共有できるので「ここ短いよね」っていえば「ああそうだね」って通じ合えます。わかりづらくてすみません。ああ、だからダウンタウンにせよナインティナインにせよ、独特の「間」を大事にする人は決まったスタッフとしか仕事しないのかなあ。でもそれを越えるとたけしさんみたいにどんなスタッフと組んでも自分のオーラをスタッフに伝染させてゆけるようになるのかなあ。う〜ん。
村上春樹から遠く離れてしまいましたが、村上春樹の解読本としてはこれ以上のものはおそらく(日本語のものとしては)二度と現れないだろうと思いました。内田さんが指摘しているように「父について書かない」村上春樹は日本の文壇にはたぶん「意味がわかんない」存在だから。村上春樹の「倍音」は聞き取れない人には絶対聞き取れない。ぼくは自分が同時代にその音を「聞き取れた」ひとりであることを幸せに思っています。かなり。
さあ、ラストスパートだ。仕事に戻ります。

村上春樹にご用心
ISBN:4903951006 単行本 内田 樹 アルテスパブリッシング 2007/09/29 ¥1,680

つらつらと

2007年9月29日 読書
朝日新聞読んでたら経済産業省上席研究員の小林慶一郎って人が、「格差拡大の原因はコンピューターだ」って言ってて、この人の裏テーマは要するに「行政のせいではないですよ」ってことなのかも知れないけれど、確かに「ひとりに1台コンピューター」の時代の到来はあらゆるもののあり方を変えたと思う。たとえば、家に帰って最初にすることはかつて「テレビをつけること」だったんだけれど、今は「パソコンのスイッチを入れること」になっている。
それで思ったんだけれど、こんなにコンピューターが普及する前は「ひとり1台テレビ」って家が結構あったと思うんだけれど、今はどれくらいあるんだろう?一時どんどん小型化してったテレビは逆に大型化している気がする。アクオスとかブラビアの登場で。テレビとかの「1名さまにプレゼント!」みたいな企画でも、45インチ以上じゃないとなんとなく「ケチだな〜」みたいな雰囲気になってきている。そうして大きいテレビが主流になると、価格的に「ひとり一台テレビを持つ」ことは困難になる。たぶん「大型テレビが居間に1台」みたいな家が増えてきてるんじゃないかと思う。
そういう環境的な面から考えても、人はひとりの時テレビを見なくなってきているんじゃないだろうか。ひとりだったらコンピューターに向かえばいいんだから。コンピューターは(原丈人さんが「21世紀の国富論」で指摘するように)「個」をネットを通して「つなぐ」コミュニケーションツールとしての意味合いをこれからもどんどん強めてゆくだろう。だから、コンピューターの前にひとりで座る時、人は孤独のように見えて孤独ではない。どこへでもつながれるから。しかし、ひとりでテレビを見るとき、人は孤独から逃れられない。テレビは、「私」をどこにもつなげてくれないから。しかも活字メディアと違って、テレビはその映像と音声によって受け手の想像力をも遮断してしまう。テレビの前で、人はどこへも行けない。
テレビはもともと「大量消費」を促すために生まれたメディアなのだから、テレビにとって「個」はあまり大きな意味を持たない。ミャンマーの混乱をテレビで見ても、「私には何もできない」という無力感を持つしかない。しかしネットを通せば(いまは遮断されてるけど)直接ミャンマーの人とつながることも可能だ。実際につながらなくても、「可能だ」というところに救いがある。そういう意味ではテレビというメディアは、「コミュニケーション」という考え方を放棄してきたと言ってもいいだろう。
で、これからテレビはどうなるのか、を考えてみるに、テレビの向こうとのコミュニケーションが不可能な以上、「ひとりでテレビを見る」という習慣はどんどん廃れてゆくだろう。しかし、テレビの「こちら側」の「受け手」が横につながってゆく、ということはあるのではないか、と思う。
テレビは、「家族間のコミュニケーションを促す触媒」のようなメディアになってゆくのではないか。テレビは、日頃共通言語を持たない「家族」同士が「共通の会話」をするための、「個」としての性格を強める家族たちを横につなぐための「道具」になってゆくのではないか、と思う。「どこへも行けない」テレビの性質は、ここではプラスに働く。だって家族たちはテレビの前にいれば「どこへも行かなくていい」のだから。
そう考えれば、少なくとも家族の多くが顔を揃えるゴールデンタイムにおいて、「家族で見られない番組」はこれから廃れてゆくのではないか。生き残るのは「どの世代でもわかる」「家族と一緒でも安心して見られる」「家族間のコミュニケーションが円滑に進む」ソフトになるのではないか。
デジタル化に伴いテレビがさらに贅沢品となって一世帯あたりのテレビ台数がますます減少し、このままテレビの「個人視聴時間」が減り続ければ、やがてテレビを見ることが「日常」ではなく「祝祭」化してゆく。そうしてテレビが「家族の祝祭のための神器」になってゆけば、「一億総白痴化」を推進してきたテレビの性質は変わってゆくのではないだろうか。変わってゆかざるを得ないのではないか。
昨今の「教養番組ブーム」はその兆候も知れない。「エジプト4時間スペシャル」が視聴率16パーセントだったり、「芸能人雑学王」が22パーセントだったり、NHKで地味に不定期放送されてた「爆笑問題のニッポンの教養」がレギュラー化されたり(「ニッポンの教養」はホントにいい番組だし面白いです!オススメ!)してるのは、そうした流れの中で起きてることなのではないだろうか、とふと。
村上春樹さんがいうように「世界の知性の総量は一定だ」としたら、そうした知性の一部がテレビに流入することは、知性の平均化が進むことのように思えるので望ましい気がします。いつまでも週刊新潮や週刊文春みたいな(「男の志の低さを具現化した」by高橋源一郎…たぶん)嫉妬のメディアに「知性」みたいな顔をさせておく時代は早く終わって欲しいし。そんなこんなを考えながらきょうも仕事しています。しかし寒いね…。

爆笑問題のニッポンの教養
ISBN:406214283X 新書 講談社 2007/09/27 ¥798

ようやく、

2007年9月26日 読書
とりあえず仕事がヤマを越える!というところにたどり着いて、ひと息ついています。自分で言うのも何だけど(でも誰も言ってくれないから言うけど)頑張ったなぁ、今回。あとは徹夜続きで夜食に手を出して緩んだこの体を何とかしなければ。ウチ体重計ないんだよね…。買わなくちゃ。

仕事がらみの本をずっと読んでいて本屋さんに行く時間もなかったのですが、ちょっと余裕が出てきたので中村うさぎさんの「セックス放浪記」が読みたくなって近所の本屋へ。2軒回ったのですが2軒とも売切れでした。もしかして、売れてる?前にぱらぱら立ち読みした時に、本文中のいくつかのフレーズと巻末の佐藤優さんとの対談が面白そうで気になりつつ、しばらく読む暇ないなぁ、と買わずにおいてしまったことを今になって後悔しています。やっぱり本はピンときた時が買い時だなぁ…。でもそうやって衝動的に買って読まずに積み上がってる本が会社や家にどれだけあるか考えてみろ、ともうひとりの自分が。とりあえず近々「佐藤可士和の超整理術」でも買って整理術を学ぼうと思います。あ、でもそれすら読まずにさらに本が積み上がってしまったら…。う〜ん。無限ループだぁ…。

佐藤可士和の超整理術
ISBN:4532165946 単行本 佐藤 可士和 日本経済新聞出版社 2007/09/15 ¥1,575
毎日毎日自分らしくないくらい真っ当に仕事をこなしているからか、この本のような「ダメな大人が一人称で自分のダメさを全肯定している小説」にすごく癒されてしまっています。
セックスが堕落なのではない。堕落はセックス以外である。セックスは闘争でもないし、浅薄な娯楽でもない。セックスは死への復讐である。死を忘れるなかれ。絶対に忘れるなかれ。

…ね、いい感じにダメでしょ?他にも、
きみも結婚と言う考えの子どもっぽさについて教えを受けたいのかい?もちろんそれは子どもっぽいよ。家族生活っていうのは子どもっぽいんだ。これまで以上に今日、社会の精神が子どもによって作られるようになった今はね。子どもがいないともっとよくない。だって子どもっぽい大人が子どもの代わりになってしまうから。

要は「結婚なんて“子どもっぽい”ことはオレみたいな“大人”にはムリだぜ!」って理論なんですが、ああ、これだけ自己の欲求完全肯定のダメ人間になれたら心地よいだろうなぁ…と考えながら、そろそろ目の前の資料の山に目を通して企画書を書き始めようかと思っているぼくは中途半端なダメ人間です。
仕事しよ。

ISBN:4087733963 集英社 2005/01 ¥1,575

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