動物化するプレモダン
2007年10月9日 日常
相撲界、大変ですね…。態度の横柄な横綱(たぶん人間のレベルとしては「エリカ様」並み)の問題行動と違って、いま世間を騒がせている「時津風事件」は、大相撲の歴史上の転換点になりそうな気がします。当初ぼくは「親の立場」であのニュースを見て、当事者であるはずの「親方」があまりにも「他人事」のような態度を貫いていることに強い怒りと疑問を感じました。でも「相撲とは何か」をよく考えれば、なぜ親方がああいう態度を取ったのか、わかる気がしました。
大相撲、目の前で見たことありますか?ぼくはかつての「若貴時代」に仕事で何度か見たことがあるんですが、も〜スゴイですよ。何がスゴイって、肉と肉、骨と骨がぶつかりあう音が響き渡るのが。たぶん、何の訓練もしてない一般人がいきなり土俵に上がったりしたら、一発で死ぬだろうな、ってくらいの真剣な肉体のぶつかり合い。殺るか殺られるか、みたいなぴりぴりした空気。たぶん、相撲の世界では、自分の中の「人間」の部分を殺して、自己を最大限に「動物化」しないと生き残って行けないだろうと思います。土俵は戦場で力士は兵士である、と考えたらわかりやすいかも知れません。
そう考えれば、「親方」というのは自分を最大限に「動物化」することに成功した人物で、相撲部屋とは「人間が動物になる訓練をする場所」なんだと言えるでしょう。そういう場所で起きた事件です。被害者は「人間」のままで「動物」になり切れなかった。一方で、加害者は「動物」だった。飢えた「動物」の群れの中に放り込まれた人間がどうなるか。
多くの人が指摘するように、「こういう事件は今回が初めて」なんてこと、ありえないと思います。たぶん過去何度もこういうことが繰り返され、そして闇に葬られてきたのでしょう。人間を動物化する過程で起きた、「事故」として。だから、親方は自分がなぜ解雇されるのか、最後までわからなかったのだと思います。「フルメタルジャケット」のハートマン軍曹が、なぜ殺されたのかわからないまま死んで行ったように。
今回の事件をきっかけに、相撲という競技は今後ますます加速度的に衰退するしかない、と考えます。だって世間の常識で考えれば「かわいがり」は「集団リンチ」でしかないし、そうやって世間の常識を当てはめれば、相撲部屋と言う「人間を集団的に動物化する場所」というものは異常にしか映らないからです。そして当事者たちは、その「異常性=人間の動物化」こそが大相撲を大相撲たらしめているものだと困惑するでしょうが、彼らはその「動物性」ゆえにそれを理論化する言語を持ち得ない。
たぶんこのままいけば相撲協会は「外部の血」を導入せざるを得ないでしょうが、「外部」は「内部の理論」を言語化してくれないだろうし、それどころか「相撲界と言う戦場の常識と世間の常識とのズレ」をますます顕在化させてゆくでしょう。そうして、やがて相撲界の「人間を動物化するシステム」は致命的に損なわれてゆく。「国技」の座に安住し、世間の目を排除し続けてきた相撲界に同情の余地はないし、仕方のないことだとは思いますが、これでまたひとつ、海外の人が日本に来て楽しめる「オリエンタルの異文化」が消えてゆくのかなあ、と考えると少し淋しい気はします。
大相撲、目の前で見たことありますか?ぼくはかつての「若貴時代」に仕事で何度か見たことがあるんですが、も〜スゴイですよ。何がスゴイって、肉と肉、骨と骨がぶつかりあう音が響き渡るのが。たぶん、何の訓練もしてない一般人がいきなり土俵に上がったりしたら、一発で死ぬだろうな、ってくらいの真剣な肉体のぶつかり合い。殺るか殺られるか、みたいなぴりぴりした空気。たぶん、相撲の世界では、自分の中の「人間」の部分を殺して、自己を最大限に「動物化」しないと生き残って行けないだろうと思います。土俵は戦場で力士は兵士である、と考えたらわかりやすいかも知れません。
そう考えれば、「親方」というのは自分を最大限に「動物化」することに成功した人物で、相撲部屋とは「人間が動物になる訓練をする場所」なんだと言えるでしょう。そういう場所で起きた事件です。被害者は「人間」のままで「動物」になり切れなかった。一方で、加害者は「動物」だった。飢えた「動物」の群れの中に放り込まれた人間がどうなるか。
多くの人が指摘するように、「こういう事件は今回が初めて」なんてこと、ありえないと思います。たぶん過去何度もこういうことが繰り返され、そして闇に葬られてきたのでしょう。人間を動物化する過程で起きた、「事故」として。だから、親方は自分がなぜ解雇されるのか、最後までわからなかったのだと思います。「フルメタルジャケット」のハートマン軍曹が、なぜ殺されたのかわからないまま死んで行ったように。
今回の事件をきっかけに、相撲という競技は今後ますます加速度的に衰退するしかない、と考えます。だって世間の常識で考えれば「かわいがり」は「集団リンチ」でしかないし、そうやって世間の常識を当てはめれば、相撲部屋と言う「人間を集団的に動物化する場所」というものは異常にしか映らないからです。そして当事者たちは、その「異常性=人間の動物化」こそが大相撲を大相撲たらしめているものだと困惑するでしょうが、彼らはその「動物性」ゆえにそれを理論化する言語を持ち得ない。
たぶんこのままいけば相撲協会は「外部の血」を導入せざるを得ないでしょうが、「外部」は「内部の理論」を言語化してくれないだろうし、それどころか「相撲界と言う戦場の常識と世間の常識とのズレ」をますます顕在化させてゆくでしょう。そうして、やがて相撲界の「人間を動物化するシステム」は致命的に損なわれてゆく。「国技」の座に安住し、世間の目を排除し続けてきた相撲界に同情の余地はないし、仕方のないことだとは思いますが、これでまたひとつ、海外の人が日本に来て楽しめる「オリエンタルの異文化」が消えてゆくのかなあ、と考えると少し淋しい気はします。
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